五月病は悪ではない

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GWが終わるといつも気怠い感じになる。

これは五月病というものらしい。ぼくは毎年患っているし、今年も例外ではない。

大人になればなるほど、五月病でだるいなんて言えない雰囲気になってくる。

「いい大人が甘えてんじゃないよ」なんて言われるのがオチだからみんな怠いなんて言わないけど、実際のところどうなんだろう。

五月病は環境変化によるストレスが原因なんて言われているけど、特に環境変化がなくても発症するもんは発症する。

ぼくを含めて、自分を騙し騙し生きている人は、五月病の原因を考えると自分が本当にやりたいことが見えてくるかもしれない。

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五月病とは?その原因は?

5月病とは、正式な病名ではない。医学的には適応障害と呼ばれているみたい。

学生にとっても、社会人にとっても、4月は環境の変化が激しくなりがちだ。

4月に発生する心理的ストレスは、「新しい環境で頑張るぞ!」と言った張り切りによって感じにくくなっているが、一種の感覚麻痺状態なだけなので、GWの連休によって緊張の糸が切れることで、溜まったストレスや疲れが一気に押し寄る。

これによりやる気が出なくなったり、何かをしようという意欲が低下すると言われている。

五月病は本来の自分の表れではないかと思う

ツイッタランドなんかでは「いい大人が五月病なんて甘ったれてんじゃないよ!!」なんていうツイートがちらほらしているが、五月病は決して悪いことではないと思う。

ぼくなんか毎年五月病を患っているし。

だんだん歳を重ねるに従って、五月病になるなんてだらしないみたいな空気感になってくるので、声を大にして「俺五月病なんだよね!だるいわー!」なんて言わないけれど、だいたいのサラリーマンはこの時期気怠さを感じることがあると思う。

先に説明した通り、五月病は、環境の激しい変化で知らず知らず溜まったストレスが一気に押し寄せることでかかると言われているが、ぼくはもう同じ職場に何年もいるし環境の変化なんてそんなにない。だけど気怠さを感じる。

そこでなんで長期休暇の後はダルさを感じるんだろうと考えてみた。

まず一つには、しばらく仕事をしていなかったことより体が鈍っているということ。

まぁ、仕事大好き意識高い系でない限り、仕事なんて行きたくはないだろうし、習慣化された通勤という一種の感覚麻痺が、まとまった休みによって毎日の通勤が中断され、習慣化の魔法が少し解けることによって余計に辛く感じるんだと思う。

もう一つ、こっちが本命なんだけど、長期休暇では基本的に自分のやりたいことをして過ごす。

ぼくの場合は、旅だったり、本を読んだり、レザークラフトやDIY、プログラミングなんかのモノづくり。家庭菜園の手入れ。ギターの練習・・・

といった具合。

もちろん全部はできないから取捨選択はするし、ぼーっとゲームしたりアニメ見たりして時間を使っちゃって「やりたいなぁ」とうすらぼんやり考えてるぐらいのことは結局やらなかったりもする。

けど確かにそこにはやりたいことをできる十分な時間と、実際に普段なかなか時間を作れなくて積んでいたやりたいことを消化して充実している感覚もある。

これが、GWが終わることによって、また次の連休まで少しずつ我慢しながら過ごさなきゃいけないと考えると当然気分は落ちる。

この、多くのやりたいことに囲まれてるけど、それを毎日やるには時間が圧倒的に足りないという現実のギャップに辟易して、なんかダルい感じになるのが社会人数年目からの五月病なんだと思う。

五月病は悪いことではない

サラリーマンはとにもかくにも時間がない。

朝、通勤電車に揺られ、仕事をし、また同じ電車で帰ってくる。夕飯を食べて、風呂に入ったらもう寝る時間なんてことも少なくない。

そんな中で、上手く時間とモチベーションを捻出して趣味(やりたいこと)にあてるしかない。

GWなんかの長期の休暇で、毎日抑圧されていた「やりたいこと」をある程度自由にやる時間を手に入れる。

仕事が楽しくないわけじゃないが、やりたいことを抑圧して自分の時間を幾ばくかのお金にコンバートするものっていう感覚は拭えない。

それがまとまった時間が取れて、純度100%で本当にやりたいことができる。また仕事に行くのがかったるくなるぐらいに熱狂できる。

 

五月病で勤労意欲が低下するのは考えものだが、その原因の主犯とも言える趣味や活動は本来の自分を表している。

この気怠さをさっさと解消し、自分にとって大切なこと、やりたいことをしっかり見つめられれば、五月病は決して悪いことでもない。

 

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